2020年5月23日土曜日

二度目のソウル



おじいちゃんはパソコンで、夜遅くまでお客さんとやりとりします。
おばあちゃんはソファに寝て、朝になるとごはんをつくってくれます。
お腹がいっぱいになったらこう言いましょう。チャル モゴッスムニダ
12月はじめ、ソウルでのお話です      








昨年の11月末から12月頭にかけて、二年ぶりにソウルへ行った。第一に、ソウルに住む友人にもう一度会いたかった。出版にまつわる活動を通して三年ほど前に出会った彼女と、いつか一緒に本が作りたい……ここのところ本づくりの仕事が本格化してきていた私は、そんな思いをずっと温め続けていた。英語でのコミュニケーションは難しく、せめてハングルをすこしでも覚えてから……そんなことを思いながらもう二年も経ってしまった。半年間YMCAハングル講座に通い、ハングルの読み方と少しの文法を覚えただけで勉強は一向に進まず、彼女が再び東京に来る気配もなかった。それならば、思い切ってこちらから会いに行ってしまえば……? そんな考えが少しずつ浮かび始めていた。

11月上旬、そのころ一緒に冊子を作っていた友人と一緒に夜道を歩きながら、どっか行きたいね、ソウル、行きたいね、あ、そういえば月末にソウルの独立系書店が集うブックフェアがあるってツイッターで見たよ、それ、いいね! と、急速に盛り上がった私たちは、突如月末のソウル行きを決めた。帰宅後も連日メールのやりとりで出発に向けての情報交換を続けていると、友人が、N書の店主Fさんがこのブックフェアに行くらしい、と言う。香川で書店を営むFさんとは、ひょんな縁から知り合い、一年前に実店舗を訪れたことがあった。Fさんとソウルで再会できたら絶対面白い! 絶対行こう! 盛り上がった私たちはもう一人、ずっとソウルに行きたがっていた友人M子を誘い、三人でソウル行きの旅程を調べ始めた。

そのころの日韓関係は悪化の一途をたどり、韓国国内では反日本政府デモや日本製品の不買運動がおこり、日本国内ではヘイトが横行、韓国から日本への旅行者は激減、飛行機が減便するほどで、こんな時期に行くことにすこし怖さもあったが、そのぶん旅費が暴落しているという噂を聞いていた。調べてみると三人でのツアー料金は案外それなりの金額になっていて、そのとき無職だった友人は旅費と、直前に新しい仕事の予定が入ったことを理由に行くのを断念し、M子とふたり、航空券と宿をそれぞれインターネットで予約した。分けて予約することでツアー料金より旅費が安く抑えられ、3泊4日でひとり25000円を切るくらいだった。ソウルの友人アランさんにはソウルに行く旨をメッセンジャーで送り、そのころ別件でやりとりをしていたFさんには月末にソウルのブックフェアへ行くんです、と伝えると、僕も行きますよ、宿はどうしました? という話になり、最終的に同じ宿を予約するという謎の展開になり、アランさんからは返事をもらえないまま、私とM子は夕方の成田空港で落ち合い、ソウルへと出発した。行きの便は遅延していたうえ満席で、日本から韓国への旅行者は減っていない、ということを後から知った。

仁川国際空港に到着したのが21時半を過ぎた頃だったろうか、飛行機を降りると、あらゆる国からの入国者と混じり合い、熱気につつまれた。ペンを持っておらず機内で入国カードを書くことができなかった私たちは、記入台で長々とペンの順番待ちをし、そこから入国ゲートを通る順番待ちで一時間くらいを要し、ソウル行きの最終電車を乗り過ごしてしまった。ソウル行きのリムジンバスがあることを知り、急いでバス停に向かうと50メートルくらい列が延びていた。氷点下に冷え込む中、24時のバスがやっと来たかと思えば、客席が埋まると同時にドアは閉まり、行列がすこし進んだだけでバスは行ってしまった。私たちは1時間に1本のバスを待つことを諦め、ソウルまでタクシーで向かうことにした。運転手に尋ねると、ソウルまで片道8千円、1時間ほどかかるということだった。グーグルマップでソウル駅からそう遠くない宿の場所を表示すると、矢印はなぜか2箇所を指し示し、宿主からのメールには「私の家」と書いてあって、意味がよくわからなかった。宿主の家で鍵を受け取って近所の宿に泊まるんじゃないか? そんなことを言いながらM子が電源の落ちそうな携帯電話で宿主に電話をすると、ソウル駅まで迎えに来てくれることになった。

タクシーは夜の街をすいすいとソウルへ走る。運転手は40代半ばくらいの気さくな男性で、私たち日本人に気を使ってか、車内には演歌が流れていた。「韓国の曲に変えてもらえませんか?」そうM子が尋ねると、運転手は曲を変えながら携帯電話でグーグル翻訳の画面を表示させ、こちらに見せてくる。「韓国の歌手では、誰が好きですか?」メジャーな歌手が思い当たらず、「イ・ラン」と、マイナーな歌手を伝えてみる。「イ・ラン? 知らない。」そう言いながら運転手が車内に備え付けられたタッチパネルで検索すると、いくつかのユーチューブの動画が上がって来て、運転手が一番上の曲をタッチすると、車内に「世界中の人々が私を憎みはじめた」という曲が流れ始めた。イ・ランが有名になるにしたがって、嫌な扱いをうけて傷ついたりしたことへの戸惑いや悲しみから始まる内容を、アコースティックでシンプルに歌い上げる曲だった。「ほんとにこれが好きなの? ええ??」全く理解できないという風な運転手は、しばらくすると韓国のメジャーなアイドルグループの曲を流し始めた。「なにか他に聞きたいことは?」と、運転手。「日本には行ったことがありますか?」「子どもはいますか?」「ソウルにおいしいご飯屋さんはありますか?」「帰りも空港まで私が送りましょうか?」と、運転手が言うので、「いいえ、電車に乗ります。」と答える。グーグル翻訳での話は尽きることがなく、2時前頃、ソウル駅へ到着した。

タクシーを降り、しばらく駅前に立っていると、小さな車が私たちの近くで止まった。車からは、宿主の小柄な白髪のおじいちゃんと、すこしふくよかな黒髪のおばあちゃんが降りて来た。70代後半くらいに見える。「M子さんですか?」「そうです、ありがとうございます。」乗り込んだ車はだいぶ古びていて、こんな時間に高齢のご夫婦に迎えに来て頂いていることに恐縮していると、ほどなく車はマンションが立ち並ぶ敷地へと入って行った。目当てらしきマンションに到着すると、まず入り口のオートロックの番号と開け方を教わった。エレベーターに乗って8階で降りると、角の部屋へ案内され、また入口のドアのオートロックの開け方を教わる。ふつうのマンションの1室だった。中もふつうの住宅といった感じで、玄関とリビンクと台所が一体となった真ん中の部屋を中心に、バストイレ、その他ドアが三つあった。照明は深夜ということもあって暗く落としてある。「この部屋へ」宿主に案内され台所の脇にある部屋のドアを開けると、ダブルベッドが一つ置いてあり、脇にはテレビ台と本棚があるのだが、全体的に生活感がある雑然とした様子で、本棚には様々な本に紛れて年代物のノートや手帳が並べられ、ホテルというより実家という印象を受けた。布団は薄いが電気毛布が挟み込まれていて、床はオンドルでとても暖かかった。
「お風呂は、何時でも入っていい。まずは、宿代を先払いしてくれ。朝食は何時にする?」台所脇のテーブルでおじいちゃんに簡単に説明を受ける。おばあちゃんはリビングの真ん中に立てられた衝立の奥のソファでくつろいでいて、おじいちゃんは一通り説明を終えると、リビングに設置された仕事用と思われるパソコンへ向かった。なにかがおかしい。このマンションの中にいくつか宿として使われている部屋があり、たまたま私たちは事務所も兼ねる中枢の部屋に当たったのだろうか? 今日はもう遅いから「私の家」には戻らず、ここで夫婦は朝まで待機するということなのだろうか??
部屋へ入り入浴の準備をしていると、携帯電話が見当たらないことに気づく。M子に電話をかけてもらっても音ひとつしない。「タクシーに忘れて来たかもしれない……!」タクシーを降りる時、かすかにゴトっと音がしたことが急に思い出される。自営をしているM子が運転手からしっかりと受け取っていた領収書を持って、おじいちゃんに話しかける。「携帯電話をタクシーに忘れました。連絡はとれますか?」おじいちゃんはすぐに記載のある番号に電話をかけてくれた。何度かかけ直し、やっと繋がり何かを伝えるとすぐに電話を切る。すこし待っていると、電話が鳴って、おじいちゃんが何か話してまた電話を切る。「携帯電話はありましたか?」「あった。ここまで届けてもらう。30分くらいかかる。」もう2時半をまわっていた。

暫く待っていると、インターホンが鳴った。二人で1階まで降りていくと、さきほど別れたタクシーの運転手が、携帯電話を持って立っていた。「ありがとうございました。ほんとに、すみませんでした。」大きく感謝を表して携帯電話を受け取ると、「お金」と言われる。さきほどのにこやかなムードとは打って変わって、不穏な空気が流れる。「何をいってるんだ」と、おじいちゃんが言うと、「ここに来るまでの間、お客さんを乗せられなかった。だから、お金を払ってくれ。」と、運転手。「いくらですか?」恐る恐る聞くと、「三万ウォン(三千円)」と、妥当な金額が返ってくる。「わかりました。ちょっと待っていてください。」おじいちゃんと一緒に8階へ上がり、財布ごと持っていこうとすると、財布は置いていけと言われる。三万ウォンを持って一人で一階へ降り運転手にお金を渡すと、グーグル翻訳の画面を見せられる。「誤解しないでください。これは届け物をしている間、仕事ができなかったからのお金です。」「オーケー、わかっています。ありがとうございました。」最後はにこやかに別れ、部屋に戻っておじいちゃんにグーグル翻訳でお礼と、お詫びを伝える。
「遅い時間までご迷惑をかけてすみません。」「いやいや。なぜ電車に乗らず、高いタクシーに乗ったのですか?」「飛行機が遅れて、最終電車に間に合いませんでした。」「ああ。。」ふと、おじいちゃんが私の手元の日本語キーボード表示を覗き込む。「日本語はハングルより文字の数が少ない?」「いや、こうするとあ行には五文字出てくる。それぞれに五文字出てくるから、ハングルより多いと思う。」「これは?」「あ」「これは?」「い」「これは?」「さ」おじいちゃんの質問に、音で答えていく。おじいちゃんはめずらしそうに、でも半分、知っているような聞き方をしてくるところに、ふと歴史が頭をかすめる。もう3時を回っていた。話を切り上げ、私とM子が交代で静かに風呂へ入る頃には暗くなったリビングの衝立の向こう側で、おばあちゃんはソファに、おじいちゃんは床に寝転び、いびきを立てていた。






翌朝、約束していた8時に部屋を出ると、台所でおばあちゃんが朝ごはんの準備をしていた。「アンニョンハセヨ~」挨拶をしてテーブルに座ると、白ごはんと、韓国海苔、小さな煮卵、甘辛く煮たレンコンやごぼう、キムチ、スープなど、何種類ものおかずがテーブルに並べられた。味付けは日本のものと近く、白ごはんがとてもおいしい。食べていると、見知らぬ50代くらいの女性が玄関から入ってきて、ソファでおばあちゃんと話しながらごはんを食べ始めた。M子が「アンニョンハセヨ」と話しかけると、そういうのはいい、とでも言いたげな面倒くさそうな表情をして手で払われた。
玄関脇の部屋から、20代と思われる男女が出て来て隣の席に着いた。「Nice to meet you」と挨拶をかわす。「日本からですか?」「はい。そちらはどこから来ましたか?」「中国です。」昨日の夜中のゴタゴタであまり眠れなかったんじゃないか……すこし申し訳ない気持ちになっていると、おばあちゃんが話しかけて来る。「おかわりが欲しいときはこう言って、「オモニ ト チョセヨ(おばあちゃん、おかわりください)」「いや、もうお腹いっぱいで」と、お腹の前に手でまあるく円を描いて伝えると、そういう場合はこう言うんだよ、と、おばあちゃんが言う。「チャル モゴッスムニダ(おごちそうさまです)」

朝食を終えると出かける準備をする。この日は目当てにしていたブックフェア「書店時代」の三日目、最終日だった。今晩からこの宿にFさんが宿泊する予定になっていて、合流することを考えて午後に「書店時代」へ、午前中はM子が行きたいというギャラリーを目指すことにした。日本で送ったアランさんへのメッセージは未だ既読になっておらず、国際電話を使ったショートメッセージをアランさんの電話番号あてに送信するという、最終手段に打って出る。「アランさん、私は鶴崎です。いまソウルにいます。メッセンジャーのメッセージをみてください!」

マンションを出て歩き始めると、敷地内のマンション群に「サムスン」との表記が見える。私たちの宿の名前は「チュンジョンノ サムスン ホームステイ」といった。これは……その名の通りホームステイだ。グーグルマップの指し示していた矢印はふたつ、ひとつはこのサムスンの集合団地を、もう一つは宿の位置を指し示していることにようやく合点がいく。あれはまさに「私の家」なんだ、そして、Fさんが予約したファミリータイプの部屋とは、間違いなく、バスルームの脇の、あの部屋だ! わたしたちはそう合点しながら、北へ北へと歩き始めた。

人に、言葉に、街並みに、異国感を存分に感じながら歩いた前回のソウルに比べて、二度目のソウルは不思議とすんなり体に馴染んでいた。中心街の見覚えのあるビルの脇を抜け、繊維街のような通りを歩くと、店員たちがどんどん達者な日本語で話しかけて来る。「オネエサン、ミテッテネ、ヤスクスルヨ」商店街を抜け、大通りを歩いたり、小道に入ったりしながら歩き続けると、ビル街、教会通り、骨董街と、くるくる街の表情が変わる。久しぶりに履いた冬靴で足が痛んでもう歩けないと思うくらい歩いたあたりでソウル市の北に位置する景福宮(キョンボックン)前の大通りに出た。ああ、ここは、覚えている。後ろに山がそびえるこの大きなお城の脇に以前アランさんが勤めていた、The Book Society がある。
M子の目的のギャラリーに到着すると、洗練された空間に展示されていたのは布や石やコンクリートなどの素材を力学的に変形させた作品をつくっている、いまはアメリカに在住しているという韓国人アーティストの作品で、M子の求めていたものとは少し違ったようだった。すでにお昼を過ぎていて、わたしたちはコーヒーやフライドポテトを食べながら一休みすると、「書店時代」が開かれているトンデムン(東大門)のデザインプラザへ向かうことにした。

お城の南側に位置する光化門広場に到着すると、なにやら大きなデモ集会が開かれていて、集まった人々を取り囲むようにたくさんの警察官が集結していた。人々はハチマキをし、風船を持ち、大きな旗を振っているのだが、ハングルがぜんぜん読めず、内容がわからない。広場に設置された大型テレビには、何かを熱烈に訴えている人が映し出されている。すごい熱気だった。全体的に年齢層は高めで、集団は一つではなく、何団体かがあちこちで同時にデモ活動を繰り広げている。腹ごしらえをと言った風に、大きな鍋をもったおばあさんが歩いている。韓国とアメリカの国旗を持った人が、何かを訴えながら歩いている。鼓舞するような音楽が鳴り響き、声援が立ち上がる。広場の先にある地下鉄光化門駅の階段を降りてくと、改札から流れ出てくる人、人、人。まるで運動会にでも参加するかのような熱気で、参加するんだぞ! という意思を持って集まってくる人の様は、日本ではあまり目の当たりにすることのない光景のように思えた。

地下鉄に乗ってトンデムン付近の駅で降り、M子のたっての希望でキム・ギドクの映画のロケ地になっているらしい貧民街を通り抜け大通りに出ると、建築家ザハ・ハディッドが設計した、大きな流線型の東大門デザインプラザが現れた。足を踏み入れると大きな遊歩道がゆったりと枝分かれし、入口もいくつかに分かれている。しばらくぐるぐると彷徨って、受付にいた女性に教えてもらった場所を目指すと、階段を上がったところから始まる通路の壁面に大きく「書店時代」と書かれている垂れ幕が下がっていた。
受付の奥には通路に沿って机をならべる形で20ブースぐらいが両脇に並び、わいわいと賑わっていた。小説を中心に扱ったブース、漫画を扱ったブース、自作のスケッチ集を見せてくれる女性もいた。石が好きで拾ってきては石の絵を描いている、という同年代くらいの女性がつくったZINEをみつけて、ソウルに来れなかった友人が石が好きで集めていたことを思い出し、友人へのおみやげに、と購入すると、彼女の作品が載っているインスタグラムのアドレスが記載された名刺と、彼女が描いた石がプリントしてあるシールをおまけにと、2枚ずつくれた。

列の半ばに一つだけ日本語の本が並んでいるブースがあって、そこにFさんをみつけて声をかける。「Fさん!」「ああ、鶴崎さん、本は全然持って来てないの?」「持って来てます!」と、最近日本で出版したばかりの『整体対話読本 ある』をリュックから三冊出す。「それ、並べていいから。」と、ものの数秒で本がブースに並ぶ。このブースは韓国にデザインの勉強で留学をしているNさんが、「書店時代」の主催者が営む本屋を訪れているうちに親しくなり、今回のイベントの企画として日本の書店を紹介できないか、と相談を受けて、彼女の出身地である中四国の書店に声をかけ、実現したブースだった。Nさんとも挨拶をすませる。
「宿がちょっと……想像を超えてるんですよ。ホームステイって書いてありませんでした?」「ホームステイって、みんなでコミュニケーションを楽しむとか、一番嫌いなんだけど。」「あ、全然そういう感じじゃないです。」Fさんの携帯電話には何度も宿主から到着の時間を確認する電話がかかってきているらしく、「宿って普通こんなに電話してくる?」と、怪訝な顔をしている。
しばらく佇んでいると、日本からやってきたというFさんの知人が突如あらわれ、早速本を一冊買ってくれ、自作のCDをもらう。またしばらく佇んでいると、今度は物珍しそうに本を見ている韓国人男性がいて、説明を試みるも、韓国語はもちろん英語もほとんど話せない上、そもそも「整体」は日本独自の言葉であるため英語に適当な言葉がみつからない。「「整体」は、「気」を扱うもので……」と言うと、「宗教?」と聞かれる。「宗教じゃない。」と言うと、「超能力?」と聞かれる。「超能力ではないけど、近い。彼女はそれをみんなが持っている能力だと感じていて、それを使って仕事をしている。」と説明する。“サイエンスに近い”というぼんやりとした一致点が二人の間に生まれ、にっこり笑いあって別れる。
またしばらく佇んでいると、今度はNさんとFさんが、それぞれ興味のある方向へ歩き出し、ブースからいなくなってしまう。ハラハラしながら店番をする。「すっかり乗っ取ってるじゃないですか。」と、Fさんに言われる。そんなことをしていると、男性がにこやかに挨拶をしてくる。この企画の主催者であり、普段はソウルの西、デジタルメディアシティという街でふたりで独立出版社を運営していて、「隣人書房」という小さな書店を営んでいるというCさんだ。「いつこちらにいらっしゃったんですか?」「昨日来ました。ツイッターを見て、面白そうだなと思って、突然来ました。私も日本で独立出版社を手伝っていて、そこから出した本を持ってきました。」Cさんは興味深そうに頷く。「今夜、みんなでごはんを食べるんですが、来ませんか?」「行きたいです」と、約束を交わすと、Cさんは彼の独立出版社から出したという、韓国語に翻訳されたエゴンシーレの詩の本をプレゼントしてくれた。

イベント終了の時間を迎え、急いで片付けを済ますと、荷物を一旦宿へ運ぶため、Fさんを交えた三人でタクシーに乗り込み宿へ向かう。「なんかソウル2回目なんですけど、1回目みたいな異国感があんまりなくて。」「僕はずっとホテルと会場の行き来しかしてないから、始めから異国感もなにもないですよ。」私たちより1日早くソウルにやってきたFさんは、ずっとロッテリアでごはんを食べているという。2、30分くらい走ってサムスンのマンション街に到着すると、エントランスのオートロックを解除し、8階の部屋に向かう。部屋の鍵を開けようとすると、Fさんがまた怪訝な表情をしている。「だって、ここしかないよね。」M子がそう言いながらドアをあけ、「彼はわたしたちの知り合いです。」と、おじいちゃんに説明をする。

すぐに準備を済ませ、待ち合わせ場所のソウル駅前へ向かうと、CさんとNさんが先に来ていて、勝手に連れて来たM子を友人の画家だと紹介する。Cさんの案内ですぐ近くの大衆食堂へ入り、牛肉のスープ、薬膳のスープ、白ごはん、ビールと焼酎をオーダーする。「韓国で人気のお酒の飲み方があるんです」と、Cさんは焼酎を少し入れた小さなグラスにビールを多めに注ぎ込み、スプーンを一回上からドボンと突き刺して泡立て、みなに配る。韓国で営む本屋のこと、出版のこと、エゴンシーレのこと、いまつくっている新しい展示スペースのこと  韓国ではいま独立書店や小出版がすごく盛り上がっていて、大手の出版社が小出版をまねて本をつくるようなことが起こっているとのことだった。話はつきることなく、ご馳走にまでなって、本をプレゼントし合う。「これからも、よろしくおねがいします」そう言い合って、別れた。

宿に戻ると、アランさんからメッセージが飛び込んで来た。「いづみさん!! ラインIDは持っていますか? 明日はブックフェアの会場にいますか?」いままでずっと敬遠してきたラインに速攻登録を済ませると、返信する。「私のラインIDは〇〇です。ブックフェアは、今日まででした。」「じゃあ、明日6時ころ、ホンデの辺りで夕飯を食べませんか? ごはんを食べたあと、コーヒーをごちそうします。hehe」二年前にソウルへ来た時、アランさんがコーヒーをご馳走してくれたことを思い出す。「なにか食べたいものはありますか?」「コーヒー、嬉しいです。食べたいもの、考えてみます。明日、たのしみです!」「ほんとうです!」






朝起きて、8時にテーブルをかこみM子とふたりでご飯を食べていると、9時にFさんが部屋から出て来た。おばあちゃんが出してくれる山盛りのご飯におののきながら、Fさんはご飯を食べ始める。「今日はどこに行く予定ですか?」と、Fさん。「まずはM子が行きたいと言ってる射撃場へ、夜はソウルの友人と連絡がとれて、ホンデで夕飯を食べることになっていて。」と、私が答えると、「パンチがきいてますね~。僕も、ホンデ行くんですよ。独立書店がたくさんあるみたい。」と、Fさん。
出かける準備をしていると、アランさんからまたメーッセージが届く。「食べたいものが決まっていなかったら、韓国料理のおいしいレストランを予約します。18時に、サンスー駅、4番出口で会いましょう。」ドアをあけると、昨日の親戚らしき人とは別の、孫らしき少年がおばあちゃんとテーブルでご飯を食べていた。

この日は朝から小雨が降っていた。ソウル駅を横目に歩道橋を渡っていると、現代的な作りの現ソウル駅の裏手に、日本の東京駅とそっくりの旧ソウル駅が現れる。同じ建築家が建てたらしかった。大通りから屋台が立ち並ぶ小さな通りに入り込み、指先大くらいの虫を炒めたような食べ物を興味本位に買って食べてみる。ソウルの至る所には屋台が出ていて、隣接する屋台がほぼ同じものを売っているのは不思議な光景だった。わたしたちは寄り道をしながら目的の射撃場のあるミョンドンまでぶらぶら歩いていった。

マッサージ店や飲食店、衣料品店が、それぞれ通りに向かって自己主張しながらひしめき合う中に、明洞実弾射撃場はあった。入口をくぐると、受付の女性がソファに案内してくれ、カタログを見せてくれる。「どのコースにしますか? 重い拳銃もあるし、女性ならこれくらいが軽くておすすめです。」M子は数あるコースの中から好きなコースを選ぶ。「この射撃場を、何で知りましたか?」女性が聞いてくる。「日本の漫画に出ていて、それを読みました。」と、M子。「漫画で!? ほんとに? それは知らなかった!」若い女性は興味津々で嬉しそうな様子をみせる。

射撃場を後にして近くの食堂でおかゆを食ると、地下鉄に乗ってホンデへ向かった。ホンデはソウルの西に位置していて、美大やカフェ、ライブハウス、独立書店などが多数立ち並ぶ、若者の街といわれている。街に降り立つと、個性的な服屋や、アクセサリー店、ケーキ屋、カフェなどが入口を開け放した状態で開放的に立ち並び、原宿のような印象を受ける。裏手に入ると、隠れ家のようなバーがあったり、地下に続く古着屋があったり、裏原宿のようでもある。まっすぐに続く通りを抜けて角を曲がり、街外れの閑散とした通りをしばらく歩いたところに、ソウルの独立書店の代表といわれる、THANKS BOOKS の黄色い看板が現れた。
洗練された店内の壁一面には本棚が並び、中央にはすこし角度をつけた本棚が等間隔で並んでいて、天板の上、中下段とどの角度からも本を探し閲覧できるようになっていた。私はあらゆる本を手にとっては開き、つくりや、紙質なんかを眺めては、戻していく。こんなに本があるのに、一つも読めない。韓国語に翻訳された日本の漫画もいくつか置いてあって、絶妙なセレクトが垣間見える。

一時間くらい店内を眺めた後、アランさんに会うためホンデのひとつ隣の駅、サンスー駅までぶらぶらと歩いて向かうことにした。「いづみさん、ごめんなさい、20分遅れます。それから、レストランが休みで予約ができなかった!」と、アランさんからメッセージ飛び込んで来る。近所を散策したり、戻ったりしながら、約束の4番出口付近でぶらぶらと待っていると、長い髪をバッサリと切り、チェックのコートを羽織って丸メガネをかけたアランさんが現れた。「二年ぶり!」と喜ぶ私に、「いづみさん! 二年前と全然変わってない!」とアランさんが言う。お金がなかった私は二年前に極寒のソウルへ降り立った時と全く同じ防寒具を上から下まで着込んでいた。「サンスーにはインディーズバンドがライブをすることで有名なライブハウスがある。」アランさんの話を聞きながら歩いていると、アランさんがよく行くという店の前を通りかかる。「ここにしよう!」と私が言うと、「イタリアンだよ?」と、アランさんは笑うしかないという顔をした。

店内は、こじんまりとしたテーブルひとつひとつに照明がついていたり、観葉植物が置いてあったりして雰囲気よく、若い人がぽつぽつと集っていた。注文したパスタは、韓国のファミリーレストランで一番よく食べられている、韓国のトラディッショナルパスタらしくて、たらこや鮭などのシーフードを、クリームであえたようなものだった。「韓国に来て食べたものの中で一番美味しい!」と、M子が言う。「二年前に仕事を辞めたと言ってたけど、今は何をしているの?」アランさんに聞くと、「いまはソーシャルメディアアクティビストをやっている。」という。「ソーシャルメディアアクティビストって、ご飯は食べられるの?」と聞くと、「Oh」と言ってアランさんが崩れ落ちる。彼女は二年前に本屋のマネージャーを辞めたあと、いまは仲間とカフェに集っては一緒に本を作っていること、毎晩遅い時間まで編集していてとても忙しいこと、友人と一緒にアパートを借りて家賃を安く抑え、週三回非営利団体でアルバイトをして生活費を稼いでいることなどを教えてくれた。
「貧乏だけど、たくさん稼ぐと税金をたくさん取られてしまう。それでも週三回のアルバイトは、私にとっては多いし、大変。」「わかる。東京も、似たようなもの。」「いづみさん、二年前に出版社で働いてると言ってたけど、どうなった?」「今もやってるし、こないだ本を出した。」と、日本から持って来た本を渡す。「すごい!!」そこから記念撮影がはじまる。アランさんは「読みたい……」と、つぶやいた。日本語を勉強していたけど、本づくりで忙しくなって、進んでいないらしい。私も半年間ハングル講座に通ったけど忙しくなってしまって、今は長期休暇に入ってる、などと話し合う。

イタリア料理店を後にして、すこし歩いてアランさんのお気に入りの喫茶店に入って、カフェオレと、クッキーなどを頼む。街の外れにある、隠れ家のような落ち着いたお店だった。窓際の席に座って私たちは聞きたいこと、伝えたいこと、最近気になることを話し合った。英語が出てこないときは、グーグル翻訳を駆使して画面を見せ合ったり、翻訳を音読してみたりして伝え合う。グーグル翻訳の登場により私たちのコミュニケーションは二年前よりはるかに密度が上がっていた。
「今日は射撃場に行ってきた。ソウルの人は射撃場に行きますか?」M子が聞く。「行ったことない。トレンドじゃない。」アランさんが答える。「ソウル旅行は楽しいですか?」と、アランさん。「楽しいです。でも、初めて来た時より、普通に感じている。いま日韓関係が悪くて、ニュースでは怖い情報ばかり見るけど、実際に来てみると、みんな普通に暮らしている。ニュースは大げさだと思う。」私が言うと、「私もそう思う。歴史の問題はあるけど、こうやって私たちが交流して行くことが大事なことだと思う。」と、アランさんが言う。「この前、沖縄に行って、宿で一緒になったみどりさんという人がいて、この写真に写ってる川の色は日本語で「みどり」色だと教えてくれた。それで「みどり」を覚えた。東京は政治に一番近い街だから、今は行くのがこわい。」と、アランさん。
「キム・ギドクをどう思いますか?」キム・ギドクの映画が好きなM子が聞く。「キム・ギドクはよくない。彼は自分の映画に出演した女優を、男優と一緒にレイプして、女優がテレビ番組で事の経緯を全て話して大問題になった。」韓国では長く続いた家父長制、男尊女卑の考えを打ち破ろうと、フェミニズム運動が盛んだということは知っていたし、アランさんがそういう考えを持っていることは、なんとなくみて取れた。「私はキム・ギドクの作品が好きで、彼の映画に出てくる男性はみな可愛いと思う。」M子が言う。私とM子はフェミニズム運動にあまり関心がなかった。何故なら自分が女性であるという事で酷い扱いを受けたことがなく、むしろ優遇されてきた、という話を時々していた。
「夢はありますか?」M子が聞く。「私は女性の権利について学びたいと思っている。大学に行くのか、どういう方法があるのか、いまはわからないけど。あなたの夢は何ですか?」と、アランさん。「私の夢はもう叶ってしまった。いまは結婚して子どもが欲しい。」と、M子。「私には考えられない。」と、アランさんが言う。
「私はいつかあなたと一緒に本が作りたい。これは私の夢。」ずっと思っていたことをアランさんに伝える。私たちは夢についてたくさん話し合った。形のない思いに少しでも形を与えるために。「いづみさん、今言ったこと、忘れないでください。」と言うアランさんに、「私はしつこいので忘れません。」と、グーグル翻訳で翻訳した画面を見せる。「いま作っている本ができたらきっと、本を持って東京に行きたい。」アランさんはそう、つぶやいた。

22時をまわって、喫茶店を後にすると、私とM子はバスでソウル駅まで戻ることにした。本づくりで忙しいアランさんは、毎晩2時頃まで作業をしているという。「初めてすることをしているから、とても時間がかかる。」そんな話をしながら、バス停まで一緒に歩いていって、別れた。

宿に戻ると、おじいちゃんに明日の飛行機の時間を聞かれて答えると、それなら朝の4時半にチェックアウト、5時にソウル駅まで車で送る、そうすれば遅れることはない、と言われる。Fさんにも飛行機の時間を聞くため、部屋に入っていったおじいちゃんが突然大騒ぎをしながら私を呼ぶ。見ると、酔っ払ったFさんが電気をつけっ放しにして床で二枚貝のように二つ折りになって眠っていた。「彼は意識を失うまで酒を飲む。」と、グーグル翻訳で翻訳して見せると、「あんな格好をして眠っているというのか? あんな格好で?」と、おじいちゃんに二回聞かれる。仕方なくインターネットで検索し、彼の目的地からするとたぶんこの便だと思う、と伝えると、それなら一時間しか違わないから一緒に出発した方がいい、と、おじいちゃんに言われ、明日に備えて早めに眠る。






最終日、朝四時に起きて、眠っているFさんにも事の経緯を伝ると、いやそんなに急ぐ必要はないと伝えておいてくれ、と言われる。身支度を済ませて約束の4時半にリビングに出ると、おじいちゃんもおばあちゃんも横たわっていて部屋は暗いままだった。M子とふたり佇んでいると、Fさんが部屋から出てくる。寝てる間におじいちゃんから何件も着信が入っていて、これ以上心配をかけるといけないから一緒に出るとのこと。4時45分くらいになって、おばあちゃんがおじいちゃんに声をかけると、暗いリビングの真ん中で半ズボンを履いたおじいちゃんが飛び起きた。

おじいちゃんの運転で5時前にソウル駅に到着すると、まだ入口の扉は閉まったままだった。おじいちゃんが一人一人にハグをしてくれて、私たちは「カンサハムニダ~(ありがとう)」と、感謝の気持ちを態度に大きく表して、別れた。
始発に乗り込み一時間ほど列車の中で、Fさんと色々な話をする。ソウルの友人に会ったこと、射撃場はトレンドじゃないと言われた事、日本での暮らしぶりのこと  Fさんが昨日聞いた話だと、2年前に開いていたソウルの独立書店の7割がもう閉店したらしい、とのことだった。思い立ったらすぐにはじめてダメだったらすぐにやめるという、気質が現れているらしい。日本に帰って友人にそのことを報告すると、韓国には整体いらないんじゃないか、という話になった。後から知ったことだが、日本で10年ほど前から始まった独立小出版ブームにすこし遅れて韓国で始まった小出版ブームもまた、たくさん働いてたくさん稼ぐという、高度経済成長期の波にのまれて今まで当然のように思っていた生活スタイルに疑問をもった人々が、稼ぎは少なくとも、もうすこしゆっくり、自分ひとり分のペースで働いて生きていく、生き方として選んでいるということ。小出版の世界ひとつとってみても、いろんなことが見えてくる。暮らしに奮闘するたくさんの若い人の顔を見た。

仁川空港に到着すると、目的地の違うFさんともここでお別れ。私とM子は空港内の書店をのぞいたり、カフェで一休みしたりしながら、定刻通り、成田空港行きの飛行機に乗り込んだ。


2020年5月4日月曜日

『鶴崎正良 書簡集』

ここ10年の間に父から娘へ断続的に寄せられた手紙17編と、父が友人・野口浩平さんへ宛てた手紙12編、合計29編の手紙を一冊にまとめました。
ご希望の方はご連絡ください。


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『鶴崎正良 書簡集』

発行日 2020年5月1日
著者 鶴崎正良
編集 鶴崎いづみ
定価 1,000円

全68ページ
A5サイズ

鶴崎正良
1950年福岡県柳川市三橋町生まれ。佐賀大学教育学部特設美術科卒業。
生家にアトリエを構え、高校の美術教師をする傍ら、油絵を描き続ける。主な受賞に1981年、西日本美術展優秀賞受賞。1997年、谷尾美術館大賞受賞。現在無所属。「しおかわ民」として詩や小説の制作もおこなう。

〈郵送販売〉
一部1000円+送料180円
詳しくはメールにてお問い合わせください。






2020年4月1日水曜日

「ラジオと整体」~お金の話~


はじまっています。

「ラジオと整体」
お金の話2 「なんにもないという事に希望がある」
https://soundcloud.com/radio-to-seitai/2-1
(上記サウンドクラウドにて、5/30まで放送中)

対話:川﨑智子(と整体)×江頭尚子(料理見習い中)×鶴崎いづみ(観察と編集)
放送:2020年3月から2021年2月まで毎月末更新(入替制)

お金のことは一人で抱え込みがちで、人と話すこともあまりない。お金を借りてはいけないとか、貸してはいけないとか、お金を稼ぐことは悪いことだとか。時代や地域や国で価値観がだいぶ違うとしたら、いま自分はどんな価値観の中で生きているのか。それさえも自分のものではないとしたら。ましてやお金のものでもないとしたら。   そんなことを、ああだこうだ喋って聞いて共有して、みんなでゆるゆる緩む、ラジオと整体です。

♢過去の放送リスト
お金の話1 「200万円あったら何に使いますか?」

2020年2月9日日曜日

『整体対話読本 ある』(土曜社)刊行記念ツアー

『整体対話読本 ある』(土曜社)の刊行を記念して、3/1より、〈全国・整体ワークショップツアー〉をはじめます。開催希望も随時募集中。呼んでいただければ、もれなく愉気をお届けします。ご希望・お問い合わせは、tsurusakiizumi@gmail.com(担当・鶴崎)までお気軽にご連絡ください。
詳しくは、以下ホームページをご覧ください。

https://setai-taiwa-tokuhonn-aru.tumblr.com

全国・整体ワークショップツアー|予定(随時更新中)
vol.1  3月1日:東京/小平 未来工房にて →延期となりました。
vol.2  3月29日:東京/八王子 喫茶・馬天使にて →一旦中止となりました。
vol.3  6月頃?:香川/豊島にて(詳細決まり次第更新)


2020年1月14日火曜日

ひと月 十二






〈もくじ〉

対話「こどもと整体」〜こどもと愉気②〜
 - はかなくて弱いもの
 - 大人の責任
 - 環境をつくること

● 意味をもたない詩

絵解き「体操をつくる」
 - 頭と左目に聞く体操
 - 左の肋骨の下に聞く体操
 - 下腹に聞く体操
 - まとめる体操
 - 人に聞く体操

● 整体覚書「道程」


〈執筆と編集〉
川﨑智子(と整体)× 野上麻衣(保育士)× 鶴崎いづみ(観察と編集)× 松井亜衣 × 伊佐郷平

〈表紙写真〉
佐藤基

〈発行〉 2020年1月15日
〈部数〉 70部
〈定価〉 300円(送料別)※年間購読 3000円(送料込)
〈版形〉 B6サイズ/全22ページ


在庫あり

2019年12月17日火曜日

ひと月 十一







〈もくじ〉

対話「こどもと整体」〜こどもと愉気〜
 - 愉気ってなんだろう
 - 生き物全体が助けることを支持してる
 - 愉気を感じる、愉気を行う
 - ぼんやり、ふんわり、じんわり、なんとな〜く

絵解き「体操をつくる」〜穴追い行事編〜

● 夢中になること


〈執筆と編集〉
川﨑智子(と整体)× 野上麻衣(保育士)× 鶴崎いづみ(観察と編集)

〈表紙写真〉
江頭尚子

〈発行〉 2019年12月15日
〈部数〉 70部
〈定価〉 300円(送料別)※年間購読 3000円(送料込)
〈版形〉 B6サイズ/全18ページ


在庫あり

2019年11月26日火曜日

ソウルへ行く

二年前の12月、初めて韓国へ行った。

その一年前、私は東京で韓国人の女性と知り合った。彼女はアラム・ジュン、正しくはチョン・アランと発音することを後から知った。当時、ソウルで The Book Society という、出版も兼ねる独立書店でマネージャーをしていると言っていた。彼女が働いている本屋を訪ねてみたかった。それから、私の中に芽生えつつあった韓国への関心と、少しずつ増えていく、韓国をとりまく生身の断片を抱えて、自分の目で、韓国を見てみたかった。

友人と三人思い立ってソウル行きの手配を始めた。当時は丁度、北朝鮮のミサイル発射で日本中が大きく騒いでいた頃だった。ソウルへの旅行者は激減し、旅費は大幅に下がり、そんな中、今がチャンスとばかりにこぞってソウルへ行く動きも一部あることを聞いていた。恩師と話した時、もうすぐトランプが北朝鮮と和解して、世界中にアメリカの力をアピールしようとしているから、そうしたら南北が和解して旅費が戻る、行くなら今のうちだ、というアドバイスを貰った私たちは、年末で世間が大忙しになっている平日四日間を利用して、ソウル行きの手配を済ませた。三泊四日、航空券とホテル代セットで二万円代という破格の値段だった。友人の一人は情勢が危ないと母に大反対されたという理由で、行くのをやめてしまった。

2017年12月13日、私と友人は成田空港で落ち合った。直前まで仕事と展覧会の手伝いとで毎日ヘトヘトだった私には、アランさんへ英語でメールを送ることへのハードルが高く、出発の前夜にようやくメールを送り、返事を受け取れないままソウルへと飛び立った。

ソウルは東京より緯度が高くとても寒いと聞いていた。東京で日中の気温が7度だった同時刻、ソウルはマイナス7度だと知り、未知の寒さに警戒した私たちはもこもこに着込んで仁川国際空港に降り立った。そこから電車と地下鉄を乗り継ぎ、宿泊予定のホテルがあるチョンニャンニへと向かった。チョンニャンニはソウルから地下鉄で30分くらいの位置にある。昔、ソウルにお城があったとき、東門の外側に位置する、薬草を専門に扱っていた地域だったらしい。
チョンニャンニに到着したのは夜八時くらいだったろうか、地下鉄から降りて外へと出ようとする私たちをすごい冷気が迎え撃った。冷凍庫の中にいるような、東京とはまるで質の違う寒さに鼻から脳みそへと冷気が通り抜けて行く。左右どちらの出口から出ようか惑う私たちに、初老の女性がにこやかに英語で話しかけて来た。「ホテルの場所はわかる? ああ、これならここをずっとまっすぐ行って、そしたらフラワーホテルにたどり着ける。あなたたちの幸福を願っています。」と、キリスト教関連の冊子を手渡された。

外に出ると、大きな道路が交差する脇道にたくさんの屋台が出て賑わっていた。歩道や屋台の脇には雪や氷のかたまりが押し寄せてある。行き交う人の熱が勢いが、なんだか日本とは違う。歩いていくと、歩道には凍った魚が台に並べられて、無人でそのまま売られている。欲しかったら向かいの店の人に言えということらしい。

大通り沿をしばらく歩いた私たちは無事、フラワーホテルに到着した。部屋の中はオンドルで床がとても暖かく、すぐに外の寒さは忘れてしまった。そうしているうちに、アランさんから返事が届いた。「わお! 本当にソウルに来ているの? 私は明日も明後日も本屋にいます。」「じゃあ、私たちは明日の夕方、そちらに向かいます。」そう返事をして、1日目は眠りについた。




翌朝、朝早く起きて、出発の準備をする。この日は日本で出発前に申し込んだツアーに参加する予定にしていて、ロビーで迎えを待った。朝鮮半島の38度線、韓国と北朝鮮の境目である非武装地帯へむかう、DMZツアーだ。日本の友人が韓国へ行ったときに参加したという話を聞いて、興味を持った。インターネットで調べると、いくつかの会社が主催しており、中には脱北者と行くDMZツアーなるものがあって、申し込んだら定員割れで断られてしまった。38度線を境に北3kmと南3kmが非武装地帯となっていて、ここには外国人の立ち入りは可能だが、韓国人は入ることができない。第二次世界大戦にかけて朝鮮半島を占領していた日本領をロシアとアメリカが制圧するために引かれた境界線を境に、韓国と北朝鮮はいまだに休戦中だ。

待っていると迎えが来て、ソウル市内のホテルで他の外国人観光客と合流して専用のバスに乗り込み、出発した。北へ北へと走って行くと、川沿いには有刺鉄線が張られていて立ち入れないようになっていた。北朝鮮から韓国の方へと流れ込んでくるイムジン河だ。等間隔に詰所があって、軍人が守っている。38度線の3km手前にはゲートがあって、軍人がパスポートをチェックしていく。ゲートを越えると、畑や山などのある一帯を縫うようにバスが走って行く。ぽつりぽつりと家や学校のような施設が建っていて、そこには今も人が住んでいる。朝鮮半島が南北に分割されるその前からずっとそこに住み続けている人の暮らしがまだ、そこにはある。

私たちは北朝鮮軍がソウルに攻め入るため極秘で掘っていたという地下トンネル、第三トンネルを見学し、北朝鮮の大地を一望できる展望台を見学した。韓国側の展望台からは、大音量でR&B風の音楽が流されていた。北朝鮮側には大きなビルが見えるのだが、ガイドさんに聞いたところ、あれはあんなに大きなビルを建てるだけの力があるのだと誇示するためのフェイクだと言っていた。こうやって北と南はお互いに牽制しあっている。
非武装地帯にはTシャツやなんかも売られていて、もはや観光地のような雰囲気もあった。私は父へのお土産にと北朝鮮産のワインを購入し、ソウル市内へと戻った。ガイドさんによれば、北朝鮮のミサイル発射は韓国人にとって、日本人が「震度3の地震がまた来た」と思うくらいの感覚でしかなく、誰も怖がってはいないという話だった。

ソウル市内で遅い昼食を食べた私たちは、その足で The Book Society へと歩いて向かうことにした。若者でにぎわう繁華街から大通りへと抜け、現代的な作りの市役所や、立ち並ぶビルなんかを一つ一つ目にしながら、すべてが日本とは違う様子に見入ってしまう。まず文字が全然読めない。それから、日本よりずいぶんくだけたラフな感じがする。歩けば歩くほど刻々と風景が変わって行って、全てが面白い。それから、山。ソウル市のすぐ背後には高くとんがった山々がそびえ立つ。私たちはコーヒーショップでひと休みしたり、またぶらぶら歩いたりしながら、大きなお城のすぐ脇にある The Book Society にとうとうたどり着いた。

一階のビルの入り口に出してあった、板と木片をつないで独立して立つようにしつらえられた看板を横目にビルの二階へと階段をあがっていくと、ドアの前には適度に適当にチラシが置いてあったりポスターが貼ってあったりする。
「なんだか路地と人に似ている・・・!」
親近感を覚えながらドアを押し開けると、そこにはカタログや、美術書、日本のデザインの雑誌なんかも置いてあって、日本でいえばナディッフのような、そんな雰囲気の空間が広がっていた。

私はレジカウンターに座っていたアランさんをみつけて、声をかけた。防寒スタイルで帽子をかぶり込んだ私の顔がわからなかったようで、彼女は一瞬きょとんとして、それから、ああ、と驚いた顔をして立ち上がった。
「わたしは、チョン・アランです。」アランさんは覚えたての日本語で友人に挨拶をして、用意してくれていたケーキとお茶を出しながら、「いま、忙しくて、食べ終わったらここで梱包作業がしたい、オーケー?」と聞く。私たちは「オーケー」と言ってケーキを食べながら色々話した。アランさんが年末でこの書店を辞めること、DMZに行ってきたこと。
ひととおり店内をくまなく観察して、ぶらぶらしている私たちとアランさんは夜ご飯を一緒に食べることにして、私たちはぶらぶらと閉店時間を待った。閉店間際に彼女の友人が二人現れて、近くでギャラリーをやっているが、ショップカードをわすれた、と言った。別れ際に片方の女性が携帯を見せてくれたので覗き込むと、「またね」と、日本語の翻訳表示がされていて、私たちはふふ、と、顔を見合わせて笑って、そして別れた。

アランさんと一緒に行ったお店は、若い層の人たちが集いそうな、ちょっとお洒落なカフェだった。キムチとかチジミとか、いわゆる唐辛子たっぷりの韓国料理といったイメージからは程遠く、私が頼んだエビフライの乗ったカレーは、やさしい味わいで日本のものと変わらなかった。トイレの場所を聞くと店外だというので行ってみると、ビルのエントランスを入ったところに腰ほどの高さもないドアがついていて、開けるとそこからすこし階段で降るような不思議なつくりになっていて、上から下がった紐を引いて水を流した。
私たちは夕飯を食べながら、一生懸命英単語を並べながらたどたどしく話し、そのあとコーヒーショップに入って、大きなカップで出てきた、泡がたっぷりの甘いカフェラテを飲みながらまた、一生懸命英語で話した。

帰り道、果物屋の前を通ると、ソウルの至る所で見る熟塾に熟した柿がそこにも並んでいた。「こういう柿、よく見るね、日本にはない。」とアランさんに言うと、「食べる? 買ってあげるよ、プレゼント」と言う。熟した柿にひるんだ様子の友人がとっさに「私はいちごがいいな」と言い、アランさんは、1パックに8個ほど詰め込まれた大粒のイチゴを買ってくれた。
私たちは地下鉄に乗り込み、実家に住んでいるという彼女と途中の駅で別れた。ホテルに戻ってイチゴを食べると、見た目は日本のイチゴとなにも変わらないのに、口に含むとサクサクして、不思議な食感がした。




三日目、なにも決めていなかった私たちは、泊まっているホテルが薬草街に近いこともあり、歩いて行ける距離にある薬草博物館を目指した。途中、大きな市場に出くわした。ブースブースに魚介物が山盛りに置かれていて、カキの山、いりこの山、山から山へと目を移して先へ先へと進んで行くにつれ置いてあるものがどんどん変わって行った。とても大きな市場だった。青菜の一角があったり、もやしのようなものがカゴに入れられ、ただそれだけを扱う店がいくつも並んでいたり、地べたにどっかりとにんにくの大きな束がたくさん置かれている一角があったり、それから角を曲がると、いわゆる漢方で使われるような薬草が山積みになっている一角があったりした。
市場は屋根に隠れて日陰になっているところが多く、とても寒かった。氷点下の気温の中、人々は店を出し、店の奥で熱々のチゲを食べている。市場に来ている人は高齢の方が多く、ごったがえし、とても活気があった。ソウルに足を踏み入れてからずっと感じていたけど、おじいちゃんおばあちゃんがとても元気だ。

人をぬって歩いていると、前からズッズッと募金箱を押しながら進んでくる人がいた。募金箱にはラジカセが備え付けられ小気味好い音楽が流れている。押している人は立てないのか、体を銀色の断熱シートのようなものでくるみ、地面に横たわった姿勢のまま、募金箱を前に前に押しながら進んでくる。五十代くらいの男性に見えた。人々は賑わいながら、男性を追い越したり、かわしたりしながら進んでいって、私たちも、男性を横目にすれ違い、先へ先へと進んで行った。
市場を後にして薬草博物館へ行き、喫茶店で生姜の入ったお茶などを飲んで温まった。外へ出て歩くと、薬草専門の個人商店が続いた。すこしすすけてガランとした様子が、韓国映画でよくみる風景と同じだった。

「韓国に有名な楽器ビルがあってさ、そこの脇に緑色の屋根の、地元のおじいさんしか行かないような店があって、そこではキムチとかに使うような白菜あるでしょ、あの切れっ端のゴミ、それだけを使ったスープだけを出してる店があって、すごい安いんだけどすごい美味しくて、あの味が忘れられないんだよねえ。」

日本でそう教えてくれた友人の言葉を頼りに、とくに行き場のなかった私たちはそこを目指してみることにした。ホテルのある街からはそんなに遠くなかった。楽器ビルは旅行のガイド本に載っているくらい有名なビルで、私たちは簡単にそこにたどり着くことができた。その楽器ビルに向かって左側はビル街といった感じで、コーヒーショップやおみやげ屋さんなどが並んでいた。反対の右側に回ると、確かに緑のテントのような屋根をつけた、地元の人しか行かないような小さな店がいくつか並んでいた。一軒は、果物屋。あと三軒は飲食店。でも、見るからに豚肉料理店で、三件とも店先に調理中の豚の頭が置いてあったりした。

地元感漂う店の雰囲気にひるみ、引き返そうかどうしようか悩んでいると、一番奥の店の入り口の前で、腰丈くらいの四角いビニールテントにはまり込んで座っていたおばあさんに手招きされ、私たちはすこし迷って、それから思い切ってその店に入ることにした。
小さな店内には青年のグループや、おじさんたち、それから中年の夫婦が隣に座っていた。お店の人に英語が通じる様子もなく、メニューはすべてハングルで書かれていて、読めなかった。メニューは三つしかなく、それぞれに大、中、小があるんだな、というのは値段の表記で見当がついた。「じゃあ、これと、これ、それぞれ中で。」と言うと、隣に座っていた気の良さそうな夫婦の男性の方が、「いやいや、こっちを頼まなくちゃ」とおどけて言うので、じゃあそっちで、と言って、変えてもらった。

すこし待っていると、豚のあらゆる部位をただ煮込んだ大きな鍋と、豚のあらゆる部位をただ茹でたものを並べた、大きなお皿が出てきた。料金はそれぞれ千円ほど。味はついておらず、自分で塩や薬味を足しながら食べるという、完全なる地元スタイルだった。始めこそめずらしく、美味しく食べていた私たちだったが、ひたすら肉だけを食べ続けるのには限界があり、半分も食べきれずに残してしまった。店を出て、テントに座るおばあちゃんにお金を渡して、「ありがとうございました」とお礼を言って、地下鉄に乗ってホテルに戻った。




四日目はもう東京に帰る日だった。チョンニャンニの駅前から空港行きのバスが出ていたのでそれに乗り込んだ。そこからの記憶は、ほぼない。

日本に帰ってから、市場で買った乾燥ナツメをお土産に持って恩師の家を訪れたとき、どこに泊まったの? と聞かれてチョンニャンニですと言ったら、「そこは昔、娼婦街だったところよ。日本人わからないから、そういう安いところに泊められるのよ。」と教わった。後で調べると確かに昔、娼婦街だったようで、私たちが泊まったホテルから駅を挟んで反対側に、そういう店がずっと並んでいたんだということを知った。

いまでもあのサクサクとしたイチゴの食感を時々思い出す。あまりに楽しかったので、記録しておきたいなとずっと思っていて、思い立って、思い出しながら日記を書いた。私は今週末、二年ぶりにふたたびソウルへ行く。