2020年5月23日土曜日

二度目のソウル



おじいちゃんはパソコンで、夜遅くまでお客さんとやりとりします。
おばあちゃんはソファに寝て、朝になるとごはんをつくってくれます。
お腹がいっぱいになったらこう言いましょう。チャル モゴッスムニダ
12月はじめ、ソウルでのお話です      








昨年の11月末から12月頭にかけて、二年ぶりにソウルへ行った。第一に、ソウルに住む友人にもう一度会いたかった。出版にまつわる活動を通して三年ほど前に出会った彼女と、いつか一緒に本が作りたい……ここのところ本づくりの仕事が本格化してきていた私は、そんな思いをずっと温め続けていた。英語でのコミュニケーションは難しく、せめてハングルをすこしでも覚えてから……そんなことを思いながらもう二年も経ってしまった。半年間YMCAハングル講座に通い、ハングルの読み方と少しの文法を覚えただけで勉強は一向に進まず、彼女が再び東京に来る気配もなかった。それならば、思い切ってこちらから会いに行ってしまえば……? そんな考えが少しずつ浮かび始めていた。

11月上旬、そのころ一緒に冊子を作っていた友人と一緒に夜道を歩きながら、どっか行きたいね、ソウル、行きたいね、あ、そういえば月末にソウルの独立系書店が集うブックフェアがあるってツイッターで見たよ、それ、いいね! と、急速に盛り上がった私たちは、突如月末のソウル行きを決めた。帰宅後も連日メールのやりとりで出発に向けての情報交換を続けていると、友人が、N書の店主Fさんがこのブックフェアに行くらしい、と言う。香川で書店を営むFさんとは、ひょんな縁から知り合い、一年前に実店舗を訪れたことがあった。Fさんとソウルで再会できたら絶対面白い! 絶対行こう! 盛り上がった私たちはもう一人、ずっとソウルに行きたがっていた友人M子を誘い、三人でソウル行きの旅程を調べ始めた。

そのころの日韓関係は悪化の一途をたどり、韓国国内では反日本政府デモや日本製品の不買運動がおこり、日本国内ではヘイトが横行、韓国から日本への旅行者は激減、飛行機が減便するほどで、こんな時期に行くことにすこし怖さもあったが、そのぶん旅費が暴落しているという噂を聞いていた。調べてみると三人でのツアー料金は案外それなりの金額になっていて、そのとき無職だった友人は旅費と、直前に新しい仕事の予定が入ったことを理由に行くのを断念し、M子とふたり、航空券と宿をそれぞれインターネットで予約した。分けて予約することでツアー料金より旅費が安く抑えられ、3泊4日でひとり25000円を切るくらいだった。ソウルの友人アランさんにはソウルに行く旨をメッセンジャーで送り、そのころ別件でやりとりをしていたFさんには月末にソウルのブックフェアへ行くんです、と伝えると、僕も行きますよ、宿はどうしました? という話になり、最終的に同じ宿を予約するという謎の展開になり、アランさんからは返事をもらえないまま、私とM子は夕方の成田空港で落ち合い、ソウルへと出発した。行きの便は遅延していたうえ満席で、日本から韓国への旅行者は減っていない、ということを後から知った。

仁川国際空港に到着したのが21時半を過ぎた頃だったろうか、飛行機を降りると、あらゆる国からの入国者と混じり合い、熱気につつまれた。ペンを持っておらず機内で入国カードを書くことができなかった私たちは、記入台で長々とペンの順番待ちをし、そこから入国ゲートを通る順番待ちで一時間くらいを要し、ソウル行きの最終電車を乗り過ごしてしまった。ソウル行きのリムジンバスがあることを知り、急いでバス停に向かうと50メートルくらい列が延びていた。氷点下に冷え込む中、24時のバスがやっと来たかと思えば、客席が埋まると同時にドアは閉まり、行列がすこし進んだだけでバスは行ってしまった。私たちは1時間に1本のバスを待つことを諦め、ソウルまでタクシーで向かうことにした。運転手に尋ねると、ソウルまで片道8千円、1時間ほどかかるということだった。グーグルマップでソウル駅からそう遠くない宿の場所を表示すると、矢印はなぜか2箇所を指し示し、宿主からのメールには「私の家」と書いてあって、意味がよくわからなかった。宿主の家で鍵を受け取って近所の宿に泊まるんじゃないか? そんなことを言いながらM子が電源の落ちそうな携帯電話で宿主に電話をすると、ソウル駅まで迎えに来てくれることになった。

タクシーは夜の街をすいすいとソウルへ走る。運転手は40代半ばくらいの気さくな男性で、私たち日本人に気を使ってか、車内には演歌が流れていた。「韓国の曲に変えてもらえませんか?」そうM子が尋ねると、運転手は曲を変えながら携帯電話でグーグル翻訳の画面を表示させ、こちらに見せてくる。「韓国の歌手では、誰が好きですか?」メジャーな歌手が思い当たらず、「イ・ラン」と、マイナーな歌手を伝えてみる。「イ・ラン? 知らない。」そう言いながら運転手が車内に備え付けられたタッチパネルで検索すると、いくつかのユーチューブの動画が上がって来て、運転手が一番上の曲をタッチすると、車内に「世界中の人々が私を憎みはじめた」という曲が流れ始めた。イ・ランが有名になるにしたがって、嫌な扱いをうけて傷ついたりしたことへの戸惑いや悲しみから始まる内容を、アコースティックでシンプルに歌い上げる曲だった。「ほんとにこれが好きなの? ええ??」全く理解できないという風な運転手は、しばらくすると韓国のメジャーなアイドルグループの曲を流し始めた。「なにか他に聞きたいことは?」と、運転手。「日本には行ったことがありますか?」「子どもはいますか?」「ソウルにおいしいご飯屋さんはありますか?」「帰りも空港まで私が送りましょうか?」と、運転手が言うので、「いいえ、電車に乗ります。」と答える。グーグル翻訳での話は尽きることがなく、2時前頃、ソウル駅へ到着した。

タクシーを降り、しばらく駅前に立っていると、小さな車が私たちの近くで止まった。車からは、宿主の小柄な白髪のおじいちゃんと、すこしふくよかな黒髪のおばあちゃんが降りて来た。70代後半くらいに見える。「M子さんですか?」「そうです、ありがとうございます。」乗り込んだ車はだいぶ古びていて、こんな時間に高齢のご夫婦に迎えに来て頂いていることに恐縮していると、ほどなく車はマンションが立ち並ぶ敷地へと入って行った。目当てらしきマンションに到着すると、まず入り口のオートロックの番号と開け方を教わった。エレベーターに乗って8階で降りると、角の部屋へ案内され、また入口のドアのオートロックの開け方を教わる。ふつうのマンションの1室だった。中もふつうの住宅といった感じで、玄関とリビンクと台所が一体となった真ん中の部屋を中心に、バストイレ、その他ドアが三つあった。照明は深夜ということもあって暗く落としてある。「この部屋へ」宿主に案内され台所の脇にある部屋のドアを開けると、ダブルベッドが一つ置いてあり、脇にはテレビ台と本棚があるのだが、全体的に生活感がある雑然とした様子で、本棚には様々な本に紛れて年代物のノートや手帳が並べられ、ホテルというより実家という印象を受けた。布団は薄いが電気毛布が挟み込まれていて、床はオンドルでとても暖かかった。
「お風呂は、何時でも入っていい。まずは、宿代を先払いしてくれ。朝食は何時にする?」台所脇のテーブルでおじいちゃんに簡単に説明を受ける。おばあちゃんはリビングの真ん中に立てられた衝立の奥のソファでくつろいでいて、おじいちゃんは一通り説明を終えると、リビングに設置された仕事用と思われるパソコンへ向かった。なにかがおかしい。このマンションの中にいくつか宿として使われている部屋があり、たまたま私たちは事務所も兼ねる中枢の部屋に当たったのだろうか? 今日はもう遅いから「私の家」には戻らず、ここで夫婦は朝まで待機するということなのだろうか??
部屋へ入り入浴の準備をしていると、携帯電話が見当たらないことに気づく。M子に電話をかけてもらっても音ひとつしない。「タクシーに忘れて来たかもしれない……!」タクシーを降りる時、かすかにゴトっと音がしたことが急に思い出される。自営をしているM子が運転手からしっかりと受け取っていた領収書を持って、おじいちゃんに話しかける。「携帯電話をタクシーに忘れました。連絡はとれますか?」おじいちゃんはすぐに記載のある番号に電話をかけてくれた。何度かかけ直し、やっと繋がり何かを伝えるとすぐに電話を切る。すこし待っていると、電話が鳴って、おじいちゃんが何か話してまた電話を切る。「携帯電話はありましたか?」「あった。ここまで届けてもらう。30分くらいかかる。」もう2時半をまわっていた。

暫く待っていると、インターホンが鳴った。二人で1階まで降りていくと、さきほど別れたタクシーの運転手が、携帯電話を持って立っていた。「ありがとうございました。ほんとに、すみませんでした。」大きく感謝を表して携帯電話を受け取ると、「お金」と言われる。さきほどのにこやかなムードとは打って変わって、不穏な空気が流れる。「何をいってるんだ」と、おじいちゃんが言うと、「ここに来るまでの間、お客さんを乗せられなかった。だから、お金を払ってくれ。」と、運転手。「いくらですか?」恐る恐る聞くと、「三万ウォン(三千円)」と、妥当な金額が返ってくる。「わかりました。ちょっと待っていてください。」おじいちゃんと一緒に8階へ上がり、財布ごと持っていこうとすると、財布は置いていけと言われる。三万ウォンを持って一人で一階へ降り運転手にお金を渡すと、グーグル翻訳の画面を見せられる。「誤解しないでください。これは届け物をしている間、仕事ができなかったからのお金です。」「オーケー、わかっています。ありがとうございました。」最後はにこやかに別れ、部屋に戻っておじいちゃんにグーグル翻訳でお礼と、お詫びを伝える。
「遅い時間までご迷惑をかけてすみません。」「いやいや。なぜ電車に乗らず、高いタクシーに乗ったのですか?」「飛行機が遅れて、最終電車に間に合いませんでした。」「ああ。。」ふと、おじいちゃんが私の手元の日本語キーボード表示を覗き込む。「日本語はハングルより文字の数が少ない?」「いや、こうするとあ行には五文字出てくる。それぞれに五文字出てくるから、ハングルより多いと思う。」「これは?」「あ」「これは?」「い」「これは?」「さ」おじいちゃんの質問に、音で答えていく。おじいちゃんはめずらしそうに、でも半分、知っているような聞き方をしてくるところに、ふと歴史が頭をかすめる。もう3時を回っていた。話を切り上げ、私とM子が交代で静かに風呂へ入る頃には暗くなったリビングの衝立の向こう側で、おばあちゃんはソファに、おじいちゃんは床に寝転び、いびきを立てていた。






翌朝、約束していた8時に部屋を出ると、台所でおばあちゃんが朝ごはんの準備をしていた。「アンニョンハセヨ~」挨拶をしてテーブルに座ると、白ごはんと、韓国海苔、小さな煮卵、甘辛く煮たレンコンやごぼう、キムチ、スープなど、何種類ものおかずがテーブルに並べられた。味付けは日本のものと近く、白ごはんがとてもおいしい。食べていると、見知らぬ50代くらいの女性が玄関から入ってきて、ソファでおばあちゃんと話しながらごはんを食べ始めた。M子が「アンニョンハセヨ」と話しかけると、そういうのはいい、とでも言いたげな面倒くさそうな表情をして手で払われた。
玄関脇の部屋から、20代と思われる男女が出て来て隣の席に着いた。「Nice to meet you」と挨拶をかわす。「日本からですか?」「はい。そちらはどこから来ましたか?」「中国です。」昨日の夜中のゴタゴタであまり眠れなかったんじゃないか……すこし申し訳ない気持ちになっていると、おばあちゃんが話しかけて来る。「おかわりが欲しいときはこう言って、「オモニ ト チョセヨ(おばあちゃん、おかわりください)」「いや、もうお腹いっぱいで」と、お腹の前に手でまあるく円を描いて伝えると、そういう場合はこう言うんだよ、と、おばあちゃんが言う。「チャル モゴッスムニダ(おごちそうさまです)」

朝食を終えると出かける準備をする。この日は目当てにしていたブックフェア「書店時代」の三日目、最終日だった。今晩からこの宿にFさんが宿泊する予定になっていて、合流することを考えて午後に「書店時代」へ、午前中はM子が行きたいというギャラリーを目指すことにした。日本で送ったアランさんへのメッセージは未だ既読になっておらず、国際電話を使ったショートメッセージをアランさんの電話番号あてに送信するという、最終手段に打って出る。「アランさん、私は鶴崎です。いまソウルにいます。メッセンジャーのメッセージをみてください!」

マンションを出て歩き始めると、敷地内のマンション群に「サムスン」との表記が見える。私たちの宿の名前は「チュンジョンノ サムスン ホームステイ」といった。これは……その名の通りホームステイだ。グーグルマップの指し示していた矢印はふたつ、ひとつはこのサムスンの集合団地を、もう一つは宿の位置を指し示していることにようやく合点がいく。あれはまさに「私の家」なんだ、そして、Fさんが予約したファミリータイプの部屋とは、間違いなく、バスルームの脇の、あの部屋だ! わたしたちはそう合点しながら、北へ北へと歩き始めた。

人に、言葉に、街並みに、異国感を存分に感じながら歩いた前回のソウルに比べて、二度目のソウルは不思議とすんなり体に馴染んでいた。中心街の見覚えのあるビルの脇を抜け、繊維街のような通りを歩くと、店員たちがどんどん達者な日本語で話しかけて来る。「オネエサン、ミテッテネ、ヤスクスルヨ」商店街を抜け、大通りを歩いたり、小道に入ったりしながら歩き続けると、ビル街、教会通り、骨董街と、くるくる街の表情が変わる。久しぶりに履いた冬靴で足が痛んでもう歩けないと思うくらい歩いたあたりでソウル市の北に位置する景福宮(キョンボックン)前の大通りに出た。ああ、ここは、覚えている。後ろに山がそびえるこの大きなお城の脇に以前アランさんが勤めていた、The Book Society がある。
M子の目的のギャラリーに到着すると、洗練された空間に展示されていたのは布や石やコンクリートなどの素材を力学的に変形させた作品をつくっている、いまはアメリカに在住しているという韓国人アーティストの作品で、M子の求めていたものとは少し違ったようだった。すでにお昼を過ぎていて、わたしたちはコーヒーやフライドポテトを食べながら一休みすると、「書店時代」が開かれているトンデムン(東大門)のデザインプラザへ向かうことにした。

お城の南側に位置する光化門広場に到着すると、なにやら大きなデモ集会が開かれていて、集まった人々を取り囲むようにたくさんの警察官が集結していた。人々はハチマキをし、風船を持ち、大きな旗を振っているのだが、ハングルがぜんぜん読めず、内容がわからない。広場に設置された大型テレビには、何かを熱烈に訴えている人が映し出されている。すごい熱気だった。全体的に年齢層は高めで、集団は一つではなく、何団体かがあちこちで同時にデモ活動を繰り広げている。腹ごしらえをと言った風に、大きな鍋をもったおばあさんが歩いている。韓国とアメリカの国旗を持った人が、何かを訴えながら歩いている。鼓舞するような音楽が鳴り響き、声援が立ち上がる。広場の先にある地下鉄光化門駅の階段を降りてくと、改札から流れ出てくる人、人、人。まるで運動会にでも参加するかのような熱気で、参加するんだぞ! という意思を持って集まってくる人の様は、日本ではあまり目の当たりにすることのない光景のように思えた。

地下鉄に乗ってトンデムン付近の駅で降り、M子のたっての希望でキム・ギドクの映画のロケ地になっているらしい貧民街を通り抜け大通りに出ると、建築家ザハ・ハディッドが設計した、大きな流線型の東大門デザインプラザが現れた。足を踏み入れると大きな遊歩道がゆったりと枝分かれし、入口もいくつかに分かれている。しばらくぐるぐると彷徨って、受付にいた女性に教えてもらった場所を目指すと、階段を上がったところから始まる通路の壁面に大きく「書店時代」と書かれている垂れ幕が下がっていた。
受付の奥には通路に沿って机をならべる形で20ブースぐらいが両脇に並び、わいわいと賑わっていた。小説を中心に扱ったブース、漫画を扱ったブース、自作のスケッチ集を見せてくれる女性もいた。石が好きで拾ってきては石の絵を描いている、という同年代くらいの女性がつくったZINEをみつけて、ソウルに来れなかった友人が石が好きで集めていたことを思い出し、友人へのおみやげに、と購入すると、彼女の作品が載っているインスタグラムのアドレスが記載された名刺と、彼女が描いた石がプリントしてあるシールをおまけにと、2枚ずつくれた。

列の半ばに一つだけ日本語の本が並んでいるブースがあって、そこにFさんをみつけて声をかける。「Fさん!」「ああ、鶴崎さん、本は全然持って来てないの?」「持って来てます!」と、最近日本で出版したばかりの『整体対話読本 ある』をリュックから三冊出す。「それ、並べていいから。」と、ものの数秒で本がブースに並ぶ。このブースは韓国にデザインの勉強で留学をしているNさんが、「書店時代」の主催者が営む本屋を訪れているうちに親しくなり、今回のイベントの企画として日本の書店を紹介できないか、と相談を受けて、彼女の出身地である中四国の書店に声をかけ、実現したブースだった。Nさんとも挨拶をすませる。
「宿がちょっと……想像を超えてるんですよ。ホームステイって書いてありませんでした?」「ホームステイって、みんなでコミュニケーションを楽しむとか、一番嫌いなんだけど。」「あ、全然そういう感じじゃないです。」Fさんの携帯電話には何度も宿主から到着の時間を確認する電話がかかってきているらしく、「宿って普通こんなに電話してくる?」と、怪訝な顔をしている。
しばらく佇んでいると、日本からやってきたというFさんの知人が突如あらわれ、早速本を一冊買ってくれ、自作のCDをもらう。またしばらく佇んでいると、今度は物珍しそうに本を見ている韓国人男性がいて、説明を試みるも、韓国語はもちろん英語もほとんど話せない上、そもそも「整体」は日本独自の言葉であるため英語に適当な言葉がみつからない。「「整体」は、「気」を扱うもので……」と言うと、「宗教?」と聞かれる。「宗教じゃない。」と言うと、「超能力?」と聞かれる。「超能力ではないけど、近い。彼女はそれをみんなが持っている能力だと感じていて、それを使って仕事をしている。」と説明する。“サイエンスに近い”というぼんやりとした一致点が二人の間に生まれ、にっこり笑いあって別れる。
またしばらく佇んでいると、今度はNさんとFさんが、それぞれ興味のある方向へ歩き出し、ブースからいなくなってしまう。ハラハラしながら店番をする。「すっかり乗っ取ってるじゃないですか。」と、Fさんに言われる。そんなことをしていると、男性がにこやかに挨拶をしてくる。この企画の主催者であり、普段はソウルの西、デジタルメディアシティという街でふたりで独立出版社を運営していて、「隣人書房」という小さな書店を営んでいるというCさんだ。「いつこちらにいらっしゃったんですか?」「昨日来ました。ツイッターを見て、面白そうだなと思って、突然来ました。私も日本で独立出版社を手伝っていて、そこから出した本を持ってきました。」Cさんは興味深そうに頷く。「今夜、みんなでごはんを食べるんですが、来ませんか?」「行きたいです」と、約束を交わすと、Cさんは彼の独立出版社から出したという、韓国語に翻訳されたエゴンシーレの詩の本をプレゼントしてくれた。

イベント終了の時間を迎え、急いで片付けを済ますと、荷物を一旦宿へ運ぶため、Fさんを交えた三人でタクシーに乗り込み宿へ向かう。「なんかソウル2回目なんですけど、1回目みたいな異国感があんまりなくて。」「僕はずっとホテルと会場の行き来しかしてないから、始めから異国感もなにもないですよ。」私たちより1日早くソウルにやってきたFさんは、ずっとロッテリアでごはんを食べているという。2、30分くらい走ってサムスンのマンション街に到着すると、エントランスのオートロックを解除し、8階の部屋に向かう。部屋の鍵を開けようとすると、Fさんがまた怪訝な表情をしている。「だって、ここしかないよね。」M子がそう言いながらドアをあけ、「彼はわたしたちの知り合いです。」と、おじいちゃんに説明をする。

すぐに準備を済ませ、待ち合わせ場所のソウル駅前へ向かうと、CさんとNさんが先に来ていて、勝手に連れて来たM子を友人の画家だと紹介する。Cさんの案内ですぐ近くの大衆食堂へ入り、牛肉のスープ、薬膳のスープ、白ごはん、ビールと焼酎をオーダーする。「韓国で人気のお酒の飲み方があるんです」と、Cさんは焼酎を少し入れた小さなグラスにビールを多めに注ぎ込み、スプーンを一回上からドボンと突き刺して泡立て、みなに配る。韓国で営む本屋のこと、出版のこと、エゴンシーレのこと、いまつくっている新しい展示スペースのこと  韓国ではいま独立書店や小出版がすごく盛り上がっていて、大手の出版社が小出版をまねて本をつくるようなことが起こっているとのことだった。話はつきることなく、ご馳走にまでなって、本をプレゼントし合う。「これからも、よろしくおねがいします」そう言い合って、別れた。

宿に戻ると、アランさんからメッセージが飛び込んで来た。「いづみさん!! ラインIDは持っていますか? 明日はブックフェアの会場にいますか?」いままでずっと敬遠してきたラインに速攻登録を済ませると、返信する。「私のラインIDは〇〇です。ブックフェアは、今日まででした。」「じゃあ、明日6時ころ、ホンデの辺りで夕飯を食べませんか? ごはんを食べたあと、コーヒーをごちそうします。hehe」二年前にソウルへ来た時、アランさんがコーヒーをご馳走してくれたことを思い出す。「なにか食べたいものはありますか?」「コーヒー、嬉しいです。食べたいもの、考えてみます。明日、たのしみです!」「ほんとうです!」






朝起きて、8時にテーブルをかこみM子とふたりでご飯を食べていると、9時にFさんが部屋から出て来た。おばあちゃんが出してくれる山盛りのご飯におののきながら、Fさんはご飯を食べ始める。「今日はどこに行く予定ですか?」と、Fさん。「まずはM子が行きたいと言ってる射撃場へ、夜はソウルの友人と連絡がとれて、ホンデで夕飯を食べることになっていて。」と、私が答えると、「パンチがきいてますね~。僕も、ホンデ行くんですよ。独立書店がたくさんあるみたい。」と、Fさん。
出かける準備をしていると、アランさんからまたメーッセージが届く。「食べたいものが決まっていなかったら、韓国料理のおいしいレストランを予約します。18時に、サンスー駅、4番出口で会いましょう。」ドアをあけると、昨日の親戚らしき人とは別の、孫らしき少年がおばあちゃんとテーブルでご飯を食べていた。

この日は朝から小雨が降っていた。ソウル駅を横目に歩道橋を渡っていると、現代的な作りの現ソウル駅の裏手に、日本の東京駅とそっくりの旧ソウル駅が現れる。同じ建築家が建てたらしかった。大通りから屋台が立ち並ぶ小さな通りに入り込み、指先大くらいの虫を炒めたような食べ物を興味本位に買って食べてみる。ソウルの至る所には屋台が出ていて、隣接する屋台がほぼ同じものを売っているのは不思議な光景だった。わたしたちは寄り道をしながら目的の射撃場のあるミョンドンまでぶらぶら歩いていった。

マッサージ店や飲食店、衣料品店が、それぞれ通りに向かって自己主張しながらひしめき合う中に、明洞実弾射撃場はあった。入口をくぐると、受付の女性がソファに案内してくれ、カタログを見せてくれる。「どのコースにしますか? 重い拳銃もあるし、女性ならこれくらいが軽くておすすめです。」M子は数あるコースの中から好きなコースを選ぶ。「この射撃場を、何で知りましたか?」女性が聞いてくる。「日本の漫画に出ていて、それを読みました。」と、M子。「漫画で!? ほんとに? それは知らなかった!」若い女性は興味津々で嬉しそうな様子をみせる。

射撃場を後にして近くの食堂でおかゆを食ると、地下鉄に乗ってホンデへ向かった。ホンデはソウルの西に位置していて、美大やカフェ、ライブハウス、独立書店などが多数立ち並ぶ、若者の街といわれている。街に降り立つと、個性的な服屋や、アクセサリー店、ケーキ屋、カフェなどが入口を開け放した状態で開放的に立ち並び、原宿のような印象を受ける。裏手に入ると、隠れ家のようなバーがあったり、地下に続く古着屋があったり、裏原宿のようでもある。まっすぐに続く通りを抜けて角を曲がり、街外れの閑散とした通りをしばらく歩いたところに、ソウルの独立書店の代表といわれる、THANKS BOOKS の黄色い看板が現れた。
洗練された店内の壁一面には本棚が並び、中央にはすこし角度をつけた本棚が等間隔で並んでいて、天板の上、中下段とどの角度からも本を探し閲覧できるようになっていた。私はあらゆる本を手にとっては開き、つくりや、紙質なんかを眺めては、戻していく。こんなに本があるのに、一つも読めない。韓国語に翻訳された日本の漫画もいくつか置いてあって、絶妙なセレクトが垣間見える。

一時間くらい店内を眺めた後、アランさんに会うためホンデのひとつ隣の駅、サンスー駅までぶらぶらと歩いて向かうことにした。「いづみさん、ごめんなさい、20分遅れます。それから、レストランが休みで予約ができなかった!」と、アランさんからメッセージ飛び込んで来る。近所を散策したり、戻ったりしながら、約束の4番出口付近でぶらぶらと待っていると、長い髪をバッサリと切り、チェックのコートを羽織って丸メガネをかけたアランさんが現れた。「二年ぶり!」と喜ぶ私に、「いづみさん! 二年前と全然変わってない!」とアランさんが言う。お金がなかった私は二年前に極寒のソウルへ降り立った時と全く同じ防寒具を上から下まで着込んでいた。「サンスーにはインディーズバンドがライブをすることで有名なライブハウスがある。」アランさんの話を聞きながら歩いていると、アランさんがよく行くという店の前を通りかかる。「ここにしよう!」と私が言うと、「イタリアンだよ?」と、アランさんは笑うしかないという顔をした。

店内は、こじんまりとしたテーブルひとつひとつに照明がついていたり、観葉植物が置いてあったりして雰囲気よく、若い人がぽつぽつと集っていた。注文したパスタは、韓国のファミリーレストランで一番よく食べられている、韓国のトラディッショナルパスタらしくて、たらこや鮭などのシーフードを、クリームであえたようなものだった。「韓国に来て食べたものの中で一番美味しい!」と、M子が言う。「二年前に仕事を辞めたと言ってたけど、今は何をしているの?」アランさんに聞くと、「いまはソーシャルメディアアクティビストをやっている。」という。「ソーシャルメディアアクティビストって、ご飯は食べられるの?」と聞くと、「Oh」と言ってアランさんが崩れ落ちる。彼女は二年前に本屋のマネージャーを辞めたあと、いまは仲間とカフェに集っては一緒に本を作っていること、毎晩遅い時間まで編集していてとても忙しいこと、友人と一緒にアパートを借りて家賃を安く抑え、週三回非営利団体でアルバイトをして生活費を稼いでいることなどを教えてくれた。
「貧乏だけど、たくさん稼ぐと税金をたくさん取られてしまう。それでも週三回のアルバイトは、私にとっては多いし、大変。」「わかる。東京も、似たようなもの。」「いづみさん、二年前に出版社で働いてると言ってたけど、どうなった?」「今もやってるし、こないだ本を出した。」と、日本から持って来た本を渡す。「すごい!!」そこから記念撮影がはじまる。アランさんは「読みたい……」と、つぶやいた。日本語を勉強していたけど、本づくりで忙しくなって、進んでいないらしい。私も半年間ハングル講座に通ったけど忙しくなってしまって、今は長期休暇に入ってる、などと話し合う。

イタリア料理店を後にして、すこし歩いてアランさんのお気に入りの喫茶店に入って、カフェオレと、クッキーなどを頼む。街の外れにある、隠れ家のような落ち着いたお店だった。窓際の席に座って私たちは聞きたいこと、伝えたいこと、最近気になることを話し合った。英語が出てこないときは、グーグル翻訳を駆使して画面を見せ合ったり、翻訳を音読してみたりして伝え合う。グーグル翻訳の登場により私たちのコミュニケーションは二年前よりはるかに密度が上がっていた。
「今日は射撃場に行ってきた。ソウルの人は射撃場に行きますか?」M子が聞く。「行ったことない。トレンドじゃない。」アランさんが答える。「ソウル旅行は楽しいですか?」と、アランさん。「楽しいです。でも、初めて来た時より、普通に感じている。いま日韓関係が悪くて、ニュースでは怖い情報ばかり見るけど、実際に来てみると、みんな普通に暮らしている。ニュースは大げさだと思う。」私が言うと、「私もそう思う。歴史の問題はあるけど、こうやって私たちが交流して行くことが大事なことだと思う。」と、アランさんが言う。「この前、沖縄に行って、宿で一緒になったみどりさんという人がいて、この写真に写ってる川の色は日本語で「みどり」色だと教えてくれた。それで「みどり」を覚えた。東京は政治に一番近い街だから、今は行くのがこわい。」と、アランさん。
「キム・ギドクをどう思いますか?」キム・ギドクの映画が好きなM子が聞く。「キム・ギドクはよくない。彼は自分の映画に出演した女優を、男優と一緒にレイプして、女優がテレビ番組で事の経緯を全て話して大問題になった。」韓国では長く続いた家父長制、男尊女卑の考えを打ち破ろうと、フェミニズム運動が盛んだということは知っていたし、アランさんがそういう考えを持っていることは、なんとなくみて取れた。「私はキム・ギドクの作品が好きで、彼の映画に出てくる男性はみな可愛いと思う。」M子が言う。私とM子はフェミニズム運動にあまり関心がなかった。何故なら自分が女性であるという事で酷い扱いを受けたことがなく、むしろ優遇されてきた、という話を時々していた。
「夢はありますか?」M子が聞く。「私は女性の権利について学びたいと思っている。大学に行くのか、どういう方法があるのか、いまはわからないけど。あなたの夢は何ですか?」と、アランさん。「私の夢はもう叶ってしまった。いまは結婚して子どもが欲しい。」と、M子。「私には考えられない。」と、アランさんが言う。
「私はいつかあなたと一緒に本が作りたい。これは私の夢。」ずっと思っていたことをアランさんに伝える。私たちは夢についてたくさん話し合った。形のない思いに少しでも形を与えるために。「いづみさん、今言ったこと、忘れないでください。」と言うアランさんに、「私はしつこいので忘れません。」と、グーグル翻訳で翻訳した画面を見せる。「いま作っている本ができたらきっと、本を持って東京に行きたい。」アランさんはそう、つぶやいた。

22時をまわって、喫茶店を後にすると、私とM子はバスでソウル駅まで戻ることにした。本づくりで忙しいアランさんは、毎晩2時頃まで作業をしているという。「初めてすることをしているから、とても時間がかかる。」そんな話をしながら、バス停まで一緒に歩いていって、別れた。

宿に戻ると、おじいちゃんに明日の飛行機の時間を聞かれて答えると、それなら朝の4時半にチェックアウト、5時にソウル駅まで車で送る、そうすれば遅れることはない、と言われる。Fさんにも飛行機の時間を聞くため、部屋に入っていったおじいちゃんが突然大騒ぎをしながら私を呼ぶ。見ると、酔っ払ったFさんが電気をつけっ放しにして床で二枚貝のように二つ折りになって眠っていた。「彼は意識を失うまで酒を飲む。」と、グーグル翻訳で翻訳して見せると、「あんな格好をして眠っているというのか? あんな格好で?」と、おじいちゃんに二回聞かれる。仕方なくインターネットで検索し、彼の目的地からするとたぶんこの便だと思う、と伝えると、それなら一時間しか違わないから一緒に出発した方がいい、と、おじいちゃんに言われ、明日に備えて早めに眠る。






最終日、朝四時に起きて、眠っているFさんにも事の経緯を伝ると、いやそんなに急ぐ必要はないと伝えておいてくれ、と言われる。身支度を済ませて約束の4時半にリビングに出ると、おじいちゃんもおばあちゃんも横たわっていて部屋は暗いままだった。M子とふたり佇んでいると、Fさんが部屋から出てくる。寝てる間におじいちゃんから何件も着信が入っていて、これ以上心配をかけるといけないから一緒に出るとのこと。4時45分くらいになって、おばあちゃんがおじいちゃんに声をかけると、暗いリビングの真ん中で半ズボンを履いたおじいちゃんが飛び起きた。

おじいちゃんの運転で5時前にソウル駅に到着すると、まだ入口の扉は閉まったままだった。おじいちゃんが一人一人にハグをしてくれて、私たちは「カンサハムニダ~(ありがとう)」と、感謝の気持ちを態度に大きく表して、別れた。
始発に乗り込み一時間ほど列車の中で、Fさんと色々な話をする。ソウルの友人に会ったこと、射撃場はトレンドじゃないと言われた事、日本での暮らしぶりのこと  Fさんが昨日聞いた話だと、2年前に開いていたソウルの独立書店の7割がもう閉店したらしい、とのことだった。思い立ったらすぐにはじめてダメだったらすぐにやめるという、気質が現れているらしい。日本に帰って友人にそのことを報告すると、韓国には整体いらないんじゃないか、という話になった。後から知ったことだが、日本で10年ほど前から始まった独立小出版ブームにすこし遅れて韓国で始まった小出版ブームもまた、たくさん働いてたくさん稼ぐという、高度経済成長期の波にのまれて今まで当然のように思っていた生活スタイルに疑問をもった人々が、稼ぎは少なくとも、もうすこしゆっくり、自分ひとり分のペースで働いて生きていく、生き方として選んでいるということ。小出版の世界ひとつとってみても、いろんなことが見えてくる。暮らしに奮闘するたくさんの若い人の顔を見た。

仁川空港に到着すると、目的地の違うFさんともここでお別れ。私とM子は空港内の書店をのぞいたり、カフェで一休みしたりしながら、定刻通り、成田空港行きの飛行機に乗り込んだ。


2020年5月4日月曜日

『鶴崎正良 書簡集』

ここ10年の間に父から娘へ断続的に寄せられた手紙17編と、父が友人・野口浩平さんへ宛てた手紙12編、合計29編の手紙を一冊にまとめました。
ご希望の方はご連絡ください。


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『鶴崎正良 書簡集』

発行日 2020年5月1日
著者 鶴崎正良
編集 鶴崎いづみ
定価 1,000円

全68ページ
A5サイズ

鶴崎正良
1950年福岡県柳川市三橋町生まれ。佐賀大学教育学部特設美術科卒業。
生家にアトリエを構え、高校の美術教師をする傍ら、油絵を描き続ける。主な受賞に1981年、西日本美術展優秀賞受賞。1997年、谷尾美術館大賞受賞。現在無所属。「しおかわ民」として詩や小説の制作もおこなう。

〈郵送販売〉
一部1000円+送料180円
詳しくはメールにてお問い合わせください。

〈取扱〉
東京 |新宿  Irregular Rhythm Asylum
ネットショップ|書肆のらぼう