2017年5月22日月曜日

無職日記 10

5月20日、静岡県三島市にある CRY IN PUBLIC という共同運営スペースで開かれた、Q.H.Z.F.(Quiet Hills Zine Festival)というジンのイベントへ行って来た。ジンというのはものすごく個人的な事をしたためて自分の思うようにつくる、ものすごく小さな出版物のこと。五年くらい前、友人と三人で突然フリーペーパーをつくり始め、その小さな制作物をきっかけに共同運営スペース「路地と人」の運営へ参加する事になったのだけれど、その周辺にはこのジンをつくる人達がたくさん居て、ジンを置いて貰える所や、ジンフェスというフェスまで所々で開催されている事を知ったし、自分が何となく漠然と感じ取って、これを大事にしたいな、と、もや〜っと思いながら手探りで形にしようとしていた世界観で成り立っているような現場が実際にあるという事を知ったのだった。
そのQ.H.Z.F.へ参加するに当り、これまでの無職日記を冊子にまとめ、日記を一旦閉じようと思います。限定6部、出会った人達に全部配ってきました。無職から脱しつつあることもあって、ひとつの区切りとして。




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あとがきと補足

いままで個人的にチラシなどの作成を頼まれる事が時々あって、これで食べて行けるんじゃないか、宣伝してみたらどうかと何度か言われていたが今まで気が進まなかったのだけれど、困り果てた勢いでウェブ上にデザイン受注のページを作ってみた。前職を失ったとき、会社にはもう通えないんじゃないか、どうしようかと思いながらも、今の私にはどこかに勤める以外に生活費を稼ぐ方法がない事をはっきりと意識した。

同じ頃、私が大好きな作家が個展をしていて、その人に会いに行った。ものすごいエネルギーで大量の文を書き絵を描き歌を歌い続けるその人は、毎朝五時に起きて日課として制作を行っているという。鍛えるようにつくっているのだ。頑張っているのだと思ったとき、今まで私はどうしてもつくりたくなる、つくらなくてはならなくなるその時が来たらつくるものだとその時を待っていたのだけれど、つくるっていうことは結構頑張ることなんじゃないかと思い当った。

ないのならつくればいいのだ。自分の力を使って。力は鍛えればいいし、鍛える事は出来る事だ。運動と同じだ。

受注のページを作って少し気持ちが楽になった気がする。いざとなれば自分で自分の力を使って仕事をつくる事が出来ると思えば俄然、体は能動的に風を切って進む気分をおびて来る。

2017年5月19日金曜日

無職日記 9



だんだん無職を脱しつつある。

今週から大学での彫塑の授業の頭部モデルバイトというものへ通っている。十年前くらいに縁あってアルバイトをして、思う所があり会社に通い、辞めては戻り、また会社へ行き、辞めては戻りを繰り返していて、また一年ぶりに戻って来た。この授業では女性の頭部モデルが8人くらい集合し、それぞれ決められたモデル台の上へ座り、一人のモデルを10人くらいの学生が囲んで観察しながら粘土で頭部の形をつくり、その後石膏どりをして最終的に石膏の頭像をつくり上げる。午前中3時間の授業を週6日、これが約1ヶ月くらい続く。

3時間の間、モデルは20分じっと座って10分休憩する事を繰り返す。特に大変な事はないがだんだん腰が痛くなって来る事と、眠くなる事、寒い日もあったり、あとは顔の一部に時々強烈な痒みを感じたりする事があって、そうなると手も足も出ず、痒みがぴりぴりと移動したり、少しずつひいて行く感覚を観察しながらやり過ごす事になるが、何か虫がとまっているとかそんな事はまずない。午前中は建物の東側の光が強く、まぶしくて目を開いているのが大変になって来て眠気に襲われると、意識的に深呼吸をする。肺の中にたまった息を吐いて吐いて吐いて、これは思った以上に吐けるのだが、そうやって吐ききったら少し息を止め、また吸う。吸って吸って吸ってこれでもかというくらい目一杯吸ったとき、ちょっと意識が戻る瞬間がある。

学生はまだ始めてから四日ほどしか経っていないのにもう頭と同じ大きさくらいの粘土のかたまりをつくりあげていて、ぼんやりと目や鼻や髪の形が出てきているものもある。大体この授業では、中盤にさしかかるともう手を入れる所がないと判断した学生達がだれ始め、そのタイミングで先生達が形が見えていない所、大きく違っている所、もしくはもっと細かい形があるというような事を伝え、学生達はまた作業に戻って行く。
一つの形をよく見る事に1ヶ月を費やす。久しぶりに戻ってみると、なかなかいい時間だなあと思い、それから、本当はそれくらい物事はゆっくり進んで行くんじゃないかという事について、改めて思い巡らせている。


2017年5月7日日曜日

無職日記 8

 

今日は1日中眠い。

昨日は沢山歩いた。代々木へ行ってかんかん照りの中クレープやケバブを食べたし、不思議なデザートという名前のデザートを出している店で、値段の書いてないカフェオレを飲み、暗くなってから思いついて初めて新宿ゴールデン街に足を運んだ。そこから歌舞伎町をふらつき昔行った事のある雑居ビルの屋上に広がるアジアの屋台に入り込み夕飯を食べた。とてもゆっくりと生きているように感じる友人二人と話し、ゆっくりと時間を過ごしていると、人の時間というのは私が思っているよりずっとゆっくりとしているのかもしれないという感じがして来て、もうどこか、時間がなくなって行くような感覚がして来て、そこから、いつもどこか急いでいるような自分がふうっとあらわれて来る。

へとへとで帰って眠ったら今日は昼に目が覚めて、でも起きてもずっと眠い。眠くなったら犬や猫のように横になって眠って、目が覚めたら起きあがる。

昨日はいろんな集まりを見た。みんな気の合うもの同士集まってわいわいやっていた。代々木の公園でフェスを立ち上げ集まっていた人達も、バーに集い共にお酒を楽しむ人達も、私が自由を感じられる場に足を運ぶのも、国という仲間意識で集い盛り上がる人達も、みんな集まってわいわいやっている。たぶん同じ事なのだ。

夜に雨が降りそうで降らなかった。みんな今も、ゆっくりとゆっくりと、起きていたり、眠っていたりする。

2017年5月5日金曜日

無職日記 7



だんだん動く方へ意識が向かい始めていて、日記が滞ってきた。

私はこの間、父が自宅で展覧会をするのに展示のアドバイスが欲しいと言ってると母が言うので、福岡の実家へ四日間帰った。今まで何度も職を変えて来た私は、実家へ帰るたび父母に仕事のことや将来のことを問い詰められ、年金を払え、年金を払わないとどうなるか調べてみろと問い詰められ、心がかき乱され重くなり、本当に実家はいい事ないな、でも今度こそは心を奪われないようにしようと思いながら帰ったのだが、駅まで車で迎えに来てくれた母に「また違う仕事されてるんですか?」と当り前のように聞かれて、私のリズムがそういうものとして存在感を持ち始めていると思ったし、父には「漫画家なんかどうだ?」と言われて拍子抜けした。いつもは喜びを爆発させて飛びついて来る犬のはなこの反応が鈍くなっていて、ここ五ヶ月で変わって来ているものがある事をなんとなく感じとった。

実家では30点並べる予定の絵が56点に増えていた上、展覧会が始まる二日前に準備は全て済んでいて、本棚の上に大きい絵をのせる時に母が来るのを待ちきれなくて、父が一人で上げようとしていたら転んでお腹から血が出たんだけどもう治ったとかいう話を聞いて、とても元気だなあと思った。

父は66歳、躁鬱の傾向があって、いまは躁の状態を薬で抑えていてちょっと目つきがとろんとして呂律がうまくまわらない。父が自主的に飲んでいた躁を抑える薬がなくなりそうになっているのを見計らって、元看護婦の母が病院から薬を貰って来てこっそりご飯に混ぜてるという話を聞いた。公立高校の美術教師だった父は学校を転々としている間に荒れた学校へ当たり、それをきっかけに鬱が始まったという話を聞いた。その父が今回帰省したとき、俺は本当は教師ではなくて猟師か刀鍛冶が向いていたという話をしていて笑ったのだが、本当に猟師か刀鍛冶になっていたら今ごろもっと穏やかな人間になっていたんだろうか。

父は頑固で頭に来る事があるとすぐに友達と絶交してしまって友達が殆ど居ないのだが、近所に住んでいるようこちゃんという83歳のおばあちゃんの友達が居て時々遊びに来る。父はようこちゃんに足が痛いから病院まで車に乗せてってくれと言われて手間賃一万円をとったり、父の主宰する画塾にようこちゃんは通っていて、途中で描けなくなると父に描いて貰って最後に自分でサインを入れて絵のコンクールに出して賞をとったりしている。二人はそういう遊びをしている。

犬のはなこは放し飼いで、好きな時に外に出て行き好きなだけふらふらして好きな時に戻って来る。最初は近所の人に畑を荒らすから放し飼いにしないようにと怒られたりしていたけど最近怒られなくなってだんだん家の周りに放し飼いの犬が増えて来ているという話を母から聞いていたが、二軒隣の放し飼いの犬が勝手に家に上がって来てはなこのご飯を全部たいらげて行く所に出くわし、母が、普段はお座敷に排泄まで済ませて行く、はなこはこの犬にだけは吠えない、親戚だと思っているんじゃないかと言っていた。

高校まで居た実家は重く苦しく、父もとにかく傲慢で、酒を飲んでは大きい声で歌ったりわあわあ言ったりして大嫌いだったし、こんな所には居たくないと思っていたけど、いまこの年齢になってみると、とにかくみんな好き放題していていちいち笑える。底のほうにこんこんと流れるおおらかさと明るさがあるのだ。 土地柄なのか、私が年齢を重ねてそれを感じ取れるようになったのか、時間を置いて再び同じ所を見てみると、以前は見えなかったものが見えて来ている。

私の家。