2017年5月5日金曜日

無職日記 7



だんだん動く方へ意識が向かい始めていて、日記が滞ってきた。

私はこの間、父が自宅で展覧会をするのに展示のアドバイスが欲しいと言ってると母が言うので、福岡の実家へ四日間帰った。今まで何度も職を変えて来た私は、実家へ帰るたび父母に仕事のことや将来のことを問い詰められ、年金を払え、年金を払わないとどうなるか調べてみろと問い詰められ、心がかき乱され重くなり、本当に実家はいい事ないな、でも今度こそは心を奪われないようにしようと思いながら帰ったのだが、駅まで車で迎えに来てくれた母に「また違う仕事されてるんですか?」と当り前のように聞かれて、私のリズムがそういうものとして存在感を持ち始めていると思ったし、父には「漫画家なんかどうだ?」と言われて拍子抜けした。いつもは喜びを爆発させて飛びついて来る犬のはなこの反応が鈍くなっていて、ここ五ヶ月で変わって来ているものがある事をなんとなく感じとった。

実家では30点並べる予定の絵が56点に増えていた上、展覧会が始まる二日前に準備は全て済んでいて、本棚の上に大きい絵をのせる時に母が来るのを待ちきれなくて、父が一人で上げようとしていたら転んでお腹から血が出たんだけどもう治ったとかいう話を聞いて、とても元気だなあと思った。

父は66歳、躁鬱の傾向があって、いまは躁の状態を薬で抑えていてちょっと目つきがとろんとして呂律がうまくまわらない。父が自主的に飲んでいた躁を抑える薬がなくなりそうになっているのを見計らって、元看護婦の母が病院から薬を貰って来てこっそりご飯に混ぜてるという話を聞いた。公立高校の美術教師だった父は学校を転々としている間に荒れた学校へ当たり、それをきっかけに鬱が始まったという話を聞いた。その父が今回帰省したとき、俺は本当は教師ではなくて猟師か刀鍛冶が向いていたという話をしていて笑ったのだが、本当に猟師か刀鍛冶になっていたら今ごろもっと穏やかな人間になっていたんだろうか。

父は頑固で頭に来る事があるとすぐに友達と絶交してしまって友達が殆ど居ないのだが、近所に住んでいるようこちゃんという83歳のおばあちゃんの友達が居て時々遊びに来る。父はようこちゃんに足が痛いから病院まで車に乗せてってくれと言われて手間賃一万円をとったり、父の主宰する画塾にようこちゃんは通っていて、途中で描けなくなると父に描いて貰って最後に自分でサインを入れて絵のコンクールに出して賞をとったりしている。二人はそういう遊びをしている。

犬のはなこは放し飼いで、好きな時に外に出て行き好きなだけふらふらして好きな時に戻って来る。最初は近所の人に畑を荒らすから放し飼いにしないようにと怒られたりしていたけど最近怒られなくなってだんだん家の周りに放し飼いの犬が増えて来ているという話を母から聞いていたが、二軒隣の放し飼いの犬が勝手に家に上がって来てはなこのご飯を全部たいらげて行く所に出くわし、母が、普段はお座敷に排泄まで済ませて行く、はなこはこの犬にだけは吠えない、親戚だと思っているんじゃないかと言っていた。

高校まで居た実家は重く苦しく、父もとにかく傲慢で、酒を飲んでは大きい声で歌ったりわあわあ言ったりして大嫌いだったし、こんな所には居たくないと思っていたけど、いまこの年齢になってみると、とにかくみんな好き放題していていちいち笑える。底のほうにこんこんと流れるおおらかさと明るさがあるのだ。 土地柄なのか、私が年齢を重ねてそれを感じ取れるようになったのか、時間を置いて再び同じ所を見てみると、以前は見えなかったものが見えて来ている。

私の家。









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